イビデン事件(最一小判平成30年2月15日)
雇用関係にない者のハラスメントへの責任

ハラスメント問題が生じたとき、加害者や被害者と雇用関係にある会社が責任を問われる可能性があることは、経営者には広く知られているかと思います。
ところが、加害者や被害者と雇用関係にない親会社が、子会社におけるハラスメント問題について、責任を問われることがあります。
このことが問題となったのが、イビデン事件(最一小判平成30年2月15日)です。

事件の概要

事件の関係者


 

本件は、親会社Yのグループ会社で起きた事件です。
「勤務先子会社」に勤務していた契約社員Xに対し、勤務先子会社の「発注会社」に勤務していた課長Aがセクハラ行為をしていたというものです。

時系列

■H21年頃~
XとAは交際していた。
  ↓
■H22年頃~
XがAに対して関係解消を求めた。
しかし,Aは,Xに対し就労中に交際を求める旨の発言や,Xの自宅に押しかけた。【第一行為】
  ↓
Xは直属の上司である係長や課長らに数回相談をしたが事実確認や予防措置などの満足な対応は得られなかった。
  ↓
Xは勤務先子会社を退職した(ここでXとAの職場が別になる)。
  ↓
■H23年1月頃
Aは、X退職後も、Xの自宅付近に数回、停車した。【第二行為】
  ↓
■H23年10月頃
Xの元同僚であるBが、Xの話を聞いた。Bは、Y社が設置していたグループ会社で就労する者が利用することができる相談窓口へ対応を申し出た。
  ↓
Y社は、発注会社・勤務先子会社に依頼して、Aその他関係者への聞き取り調査を行わせたが、勤務先子会社から該当する事実はない旨の報告があったことを踏まえ、Xに対する事実確認は行わなかった。
  ↓
これに対しXは、セクハラ加害者本人であるAのほか、勤務先子会社、発注会社、さらに親会社であるY社を被告として提訴した。


企業の責任

これまで、ハラスメントの訴訟において、加害者の責任に加えて、企業の法的責任が問われるのは、大きく区別して以下の3つでした。

加害者の使用者として、加害者の不法行為に対する使用者責任

被害者の使用者として、被害者に対する安全配慮義務違反または職場環境配慮義務違反を理由とする債務不履行責任

ハラスメントの相談を受けた相談担当者使用者として、相談担当者の不十分な対応(不法行為)に対する使用者責任

イビデン事件でも、上記の責任が認められました。

  • 加害者Aの使用者に当たる「発注会社」…Aの不法行為に対する使用者責任(①)
  • 被害者Xの使用者にあたる「勤務先子会社」…Xからの相談への対応が疎かだったため、安全配慮義務違反(債務不履行責任)(②)

この2社は、加害者Aや、被害者Xの「使用者である事」を前提として責任を課されています。
この点、親会社Yは、加害者ないし被害者「使用者」ではありません。
にもかかわらず、親会社Yが、法的責任を負うことがあるのでしょうか?これが、イビデン事件のポイントです。

裁判所の判断

裁判の流れ

裁判の流れ

地裁
  • Aのセクハラ行為そのものを認めなかった。
高裁
  • Aの損害賠償責任を認めた。
  • 発注会社の使用者責任を認めた。(①)
  • 勤務先子会社の安全配慮義務違反にかかる債務不履行責任を認めた。(②)
  • 親会社Yの信義則上の義務違反による債務不履行責任を認めた。
最高裁
  • 親会社Yの信義則上の義務(債務不履行責任)を否定した。

 

高裁の判断

高裁では、以下のように「親会社Yの信義則上の義務違反による債務不履行責任」を認めています。

  1. 子会社の従業員も利用できる相談窓口を整備した
    =グループ会社の全従業員に対し、直接又は各グループ会社を通じて相応の措置を講ずべき信義則上の義務がある
  2. 勤務先子会社が対応を怠っていたのだから、親会社は「1の信義則上の義務」を履行していなかったといえる

 

つまり、親会社Yは、相談窓口を整備した以上、その窓口を利用できる人に、直接又は間接的に適切な対応を取るべき信義則上の義務があった。
しかし、親会社Yは、Aの件の相談について本人への聞き取りなどを徹底しなかった。
よって、義務違反で責任がある。と高裁は判示したのです。

最高裁の判断

これに対し、最高裁は「勤務先子会社が対応を怠ったことのみをもって、Y社のAに対する信義則上の義務違反があったものとすることはできない。」と高裁の判断を覆しました。

最高裁の判断1…本件については、親会社Yの義務を否定

      Xは、勤務先子会社の指揮の下で労務を提供していた。したがって、親会社Yは、「Xに対し指揮権を行使する立場にあった。」または、「Xから実質的に労務の提供を受ける関係にあった。」と見るべき事情はない。
      相談窓口の仕組みの具体的内容自体から、親会社Yが、勤務先子会社の負う付随義務を、「自ら負うもの」や「指揮の下、勤務先子会社に履行させるもの」だったとは言えない。したがって、勤務先子会社が対応を怠ったことのみをもって、親会社Yの信義則上の義務違反は認められない。

 

親会社が責任を問われる余地

ただし、最高裁は同時に、「申出の具体的状況いかんによっては、当該申出をした者に対し、当該申出を受け、体制として整備された仕組みの内容、当該申出にかかる相談の内容等に応じて適切に対応すべき信義則上の義務を負う場合があると解される。」とも示しています。

最高裁の判断2…具体的な事情によっては、親会社が責任を問われる余地を認める

      親会社Yが相談窓口を設けた目的
      =グループ会社業務に関して生じる可能性がある法令違反の予防・対処
      グループ会社の事業場内で就労して法令違反により被害を受けた従業員等が、窓口に申出をすれば、Y社は相応の対応をするように務めることが予想されていた。
      =申出の具体的状況によっては、整備された仕組み・相談内容に応じて適切に対応すべき信義則上の義務を負う場合がある。

つまり、本件の状況では親会社であるY社に信義則上の義務違反は認められないが、親会社の責任を一概に否定しているわけではないということです。

 

イビデン事件のポイント

本件で親会社の責任が否定された理由

本件においては、以下の事情が、親会社Yの責任を否定する方向に働いたとみられます。

  • 第一行為については、窓口へ申し出ていないのでYが義務を負うものではない
  • 第二行為については、X退職後に職場外で行われたものであり、Aの職務執行に直接関係しない
  • 窓口へ申し出たときは、第二行為から8か月が経過しており、XとAは違う職場になっていた

このような事情がない場合や、他の事情がある場合に、裁判所がどのような判断をするのかはこれからの判例の動向に注目していく必要がありそうです。

親会社の注意点

本判例には、もう一つ大きなポイントがあります。最高裁は、親会社の「信義則上の義務」が発生するシチュエーションを、ハラスメントに関する相談に限っていないことです。

「イビデン事件」の最高裁判決で、親会社の相談窓口の対応が、信義則上の義務違反となる可能性が認められました。したがいまして、ハラスメント以外の問題に関しても相談を受け付けるシステムがある事象に関しては、今後、「①子会社従業員からの相談・申告」や、「②相談窓口の不適切対応を理由とした親会社に対する損害賠償請求」等のケースが増加することが予想されます。

子会社やグループ会社従業員も利用することができる相談窓口を設置している企業は、窓口の運営やその後の相談に対する対応の内容に不備がないか、またその制度が実際に運用可能かを確認する必要があります。

子会社の注意点

もっとも、子会社は、親会社に自社の職員の相談も受け付けてくれる窓口があるから、と社内の対策や対応を疎かにすることは、非常に危険です。ハラスメントの加害者・被害者が自社の職員である場合、まず責任を問われるのは直接の使用者である子会社です。

ハラスメント被害が発生しないように必要な予防措置を講じていなかった、被害の相談を受けていたのに適切に対応していなかった、と判断されれば、職場環境配慮義務違反や使用者責任を問われることになります。
また、パワハラ防止義務を含んだ法律が今年中に成立すると言われています。成立しますと、会社の責任はより一層問われる可能性があります。

親会社は親会社、自社は自社として、講じうる最大限の対策をとっておく必要があります。